2005年05月27日

ペルー報告(最終回) リマを経て帰国

 3泊4日のインカトレイル・トレッキングを経てマチュピチュを訪れる旅を終えて、クスコの町に戻ったのは夜の8:00頃。10:00にガイドのマヌエル、セサーと一緒にアイリッシュ・バーで飲むことになったので、まずはホテルに預けていた荷物を受け取り、荷物を作り直し、4日振りのシャワーを浴びて、ゆーこー、まさやん、大将とで腹ごしらえに出掛けました。チキンの丸焼き4分の1とサラダバーで7ソル(250円ぐらい)。この“4分の1”ですが、丸焼きの4分の1ですから、むちゃくちゃ多かったです。

 10:00にアイリッシュ・バーに行くと、セサーはすでに到着して飲んでいましたが、マヌエルは1時間近く遅れてやってきました。私達の旅のメンバーも順次やってきて、大混雑のバーで色々と話しながら楽しみました。セサーとはここで最後になるので、帰る際にはそれぞれがセサーとの別れを惜しんで挨拶して帰りました。ちなみに私とヒデとエイミの3人が最後まで残り、“これから踊りに行くよ〜”という2人を見送りました。

 翌日は昼の飛行機でリマへ。リマの空港でツアーは終了(現地発着のため)となるので、マヌエルともここでお別れ。しかし、日本への経由地となるヒューストン行きの飛行機が夜中の0時前だったので、それまでの間、リマの町を観光出来るように、マヌエルが観光バスを手配してくれました。
 で、その半日観光ツアーらしきものを手配してくれたのが、何とマヌエルのお父さん…最初はみんな疑っていたのですが、マヌエルが「パパ!」と呼び掛けたので「お〜、本当みたいだよ〜!」。

 サン・フランシスコ教会、宗教裁判所、ミラフローレス地区、バランコ地区を見てまわったのですが、不覚にもガイドをしてくれた女性の名前を忘れてしまいました。夕食はそのガイドの女性の自宅近くのシーフードレストラン。なんか観光客向けじゃなくていい感じでした。
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<サン・フランシスコ教会 中は撮影禁止、地下は墓地で人骨がいっぱい!>

 そして夜9時にリマ空港に戻り、6時間+11時間の長い空旅の末、初めてのペルーへの旅は幕を閉じました。
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2005年05月25日

ペルー報告(14) 最後の難関?ワイナピチュ登頂

 セサーの遺跡内ツアーが終了したのが11:30頃。「あとしばらくはフリータイムにするよ。遺跡内を見て周ってもいいし、ワイナピチュに登ってもいい。アグアス・カリエンテス(マチュピチュ見物の基地的なふもとの町)で温泉に入るなら12:30にエントランスに集合しよう!」というセサーの指示。

 “ワイナピチュの山頂からのマチュピチュの眺めは素晴しい”という情報はみなが聞いていたらしく、ほとんど全員がワイナピチュ山頂を目指すことになりました…でも、1時間で行って帰って来れるの?誰もハッキリしたことが分からなかったのです。ワイナピチュ登山道の入り口(ここで名前を書いていく)には「ワイナピチュ…1時間」と書いてありました。「これって、当然、片道だよね…でも、間に合わなかったら、温泉をあきらめればいいんだよね。ここまで来て、登らないわけにはいかないでしょ!」ということで、そのまま先を急ぎます。

 登り始めると、それまでのインカ・トレイルなんかより圧倒的に急な山道。途中にはロープやワイヤーが用意されていて、それを使わないと登れない場所もありました。このときは高山病のせいではなく、本当に息を切らしてハァハァいいながら登っていました。一応、時間を気にして急いでいたせいもあるのですが…途中で完全に時間に間に合うのはムリと分かりました。

 と、私の少し先を歩いていたりょうこが止まって顔をゆがめていました。足元には洗い流したと思われる血…突き出たワイヤーで指をザックリ切っていたのでした。私の持っていたガーゼと誰かが持っていた絆創膏で傷口を押えて、とりあえずの応急処置。「ズキズキするよ〜」と言いながらも歩き続けるりょうこ。いや〜、立派、立派。

 その後頂上まで、体を擦るような狭い石のトンネル抜けるなどして、汗だくになりながら、結局、所要時間は約50分頂上はホントに狭く、たくさんの観光客で大渋滞。それでも、マチュピチュを眺められる場所を確保して、しばらく座って眺めていました。
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<ワイナピチュ山頂は大混雑>

 帰りは急な下り坂&下りの石段。さすがに女性陣の中には恐怖感を抱く人もいて、下りは下りなりに大変でした。
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<背景は谷底です…下りの急な石段>

 結局、ワイナピチュの入り口に戻ったのは13:15。エントランスの集合場所に戻り、14:00のバスでアグアス・カリエンテスの町に降り、昼食をとりましたが、温泉に行く時間はありませんでした。その後、15:55の列車でクスコに戻り、いよいよ、ペルーの旅も終わりが近付きました。
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ペルー報告(13) マチュピチュ見学

 初めてマチュピチュを目にしたインティプンク(太陽の門)の遺跡からさらに歩くこと30分強、とうとうマチュピチュの遺跡に足を踏み入れました。しばらくは全体を見渡せる場所で、その全貌を眺めていました。その後、遺跡のエントランスでチケットのチェック。これによって、遺跡への出入りが自由になります。エントランス外の売店前にあるベンチでしばし休憩後、再度、遺跡内に戻りました。

 ここから、ガイドのセサーによる遺跡の見学ツアーが始まります。この遺跡がアメリカ人、ハイラム・ビンガムによって発見された時の様子、暦の役割をしていたと考えられる“太陽の宮殿”に春分・秋分の日に真っ直ぐ太陽の光が差し込むという話、石で作られた水路が急な増水でも溢れないように工夫されていること、建物には地震の際に揺れを吸収するような工夫がされていることなどなど、遺跡内を巡りながら、色々と説明をしてくれました。
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<太陽の神殿>

 しかし、私が“ここにインカの人達が住んでいたんだな〜”ということを実感したのは、これから2つに割ろうとしていた石が作業途中になっているところや、立てようとしていた柱が、その場所に運ばれていく途中で置き去りになっている状態を見たときでした。なぜ、彼らはこんな中途半端な状態を残して、この場を立ち去ったのでしょう。しかも、本当に慌てて立ち去ったような…。
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<手前の石が柱になる途中で置き去りにされたもの…セサー談>
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2005年05月24日

ペルー報告(12) マチュピチュ到着!

 インカトレイル・トレッキング4日目は、マチュピチュまでの約6kmのみ。しかし、朝4時起床!それは、5時半にオープンするチェックポイントに早めに並んで、オープンするのを待つため、そして、出来るだけ観光客の少ない状態のマチュピチュに入りたいというのが理由です。

 4時起床というのに、ポーター達はそれまでの朝と同様、朝食を準備してくれます。まだ暗い中、朝食をとり、出発の準備が出来ると急いでチェックポイントへ向かいます。私達が到着したときは、すでに2つのグループがチェックポイントに並んでいました。

 5時半に係員が到着、チェックポイントを抜けると、今までで一番の早さでどんどんと先を急ぎます。セサーは「もうほとんど上り坂なんてないよ」と言っていたのですが、ところどころ急な坂がありました。そういえば、何度となくセサーには騙された…。まぁ、みんなが歩くのがイヤにならないための気遣いだったようだから許そう。

 チェックポイントを通過してから1時間以上が過ぎたところで、とてつもなく急な石段が現れました。「うわ〜、また上りやんか〜!」苦笑いとともに叫んだ私でしたが、先に上り始めたヒデにつられるように、一気に駆け上がりました。そして、目の前に…。
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 マチュピチュが姿を現しました。私はその石段を登りきったらマチュピチュが見えるなんて知らなかったので、その姿が目に入ったときは、走って息が切れているにも関わらず、思わず息を呑んでしまいました。

 「お〜、見えた見えた〜!」「お〜、これか〜!」「来たね〜!」次々と仲間が上がってきて、それぞれ感嘆、感動の声を上げます。まだ数km先に見えているマチュピチュですが、到着した喜びを、歩き切った達成感を、みんなで分かち合いました。
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<しばしマチュピチュを眺める>
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2005年05月23日

ペルー報告(11) インカトレッキング3日目

 高度3800mのキャンプ場での夜明けは素晴しい景色を見せてくれました。6時前に目を覚まし、テントの外に出ると、背後の山の方角から上がった太陽が、向かい側の山々のてっぺんだけを照らしていました。山の中腹には雲がたなびき、私達のいるところはまだ影になっていて薄暗い…なんとも幻想的な風景でした。
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 さて、この日もポーター達の用意してくれたモーニングティーとおいしい朝食を頂き、トレッキングへ出発。「昨日、頑張って歩いたから、今日はゆっくり楽しみながら、余裕のトレッキングだよ」というセサー。それまでより頻繁に止まって景色を眺めさせたり、山々や草花の説明をしてくれたり、“ハチドリが食物連鎖の始まりと考えられている”などという話も聞かせてくれました。

 最初の数キロは上ったり下ったりですが、起伏はさほど大きくなく、ホントに余裕のトレッキングでした。プユパタマルカの遺跡で、インカの人々が抱く、山々や母なる大地に対する畏敬の念などの話を聞いたあと(英語の説明なので、本当にそういう話だったかは少々怪しい)は一気に下り始めます。結局、昼食の場所であり最終宿泊地となるウイニャワイナまで1000mの高度を下り、朝から約10kmを歩いた14:30に昼食となりました。

 昼食後はしばらく休憩のあと、16:00出発ですぐ近くにあるウイニャワイナの遺跡を見に行きました。セサーはみんなを段々畑の石組みの上に座らせて、遺跡の説明をしたあと、“1分間だけ全く音を立てないでみよう”と言いました。風の流れる音、鳥の鳴き声だけが聞こえてきます。セサー自身、この静けさが大好きなのだと言います。
 そのうち日が暮れてしまい、あたりは暗闇に…そして少し離れたところでホタルが舞い始めました。ひんやりとした空気と暗闇の中、白い光が現れては消え、また現れては消え…。
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<ウイニャワイナの遺跡>

 懐中電灯で足元を照らしながらキャンプに戻って食事をとった後は、早くもポーター達との別れのあいさつとなりました。翌、最終日にはゆっくりと別れを惜しんでいる時間がないためです。スタッフのりょうこが代表して英語でお礼の言葉を言うと、セサーがスペイン語に訳してポーター達に伝えてくれました。ポーターのリーダーからも私達への言葉をもらいました。そして、最後に一人ずつ、全員と抱き合って、一言ずつ言葉を交わしてお別れを言いました。

 明日はいよいよ、マチュピチュへ!お楽しみに!
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2005年05月22日

ペルー報告(10) インカトレッキング2日目

 インカトレイル・トレッキング2日目、解熱剤の効果が出たか、すっかり元気になった私は朝食での食欲もたっぷり。この日は出発前に、私達のトレッキングを支えてくれる25人のポーター達の紹介がありました。みんな同じ村の人達で、普段は農業をしているとのこと。一人ずつ名前が紹介され、私達からコカの葉を一人に一袋ずつ手渡しました。
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<とにかく、何から何までお世話になります>

 この日の行程は4200mと3800mの2つの峠越えを含む約16km。4日間の中で一番キツいので“Suffering Day”と呼ばれています。まずは全行程内最高点の4200mの峠を目指して歩き始めます。出発から急な坂がず〜っと続き、初めの方はジャングルのような木の茂った中を歩きます(この辺りの森林限界は3500mを超えている)。ゆっくりとジグザグに歩くことで疲労を少なくします。やがて、潅木ばかりになり、出発から約3時間で4215m地点に到着。全員の到着を待って記念写真を撮り、しばらく景色を楽しみました。心配された天気も快晴で、素晴しい景色でした。
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<この旅の最高点4215m>

 ここから一旦、急な石段が続く道を下ります。上りより膝などに負担がかかるので、かえって疲れます。3600mぐらいまで下ったあと、もう一度上り、今度は3800mの峠を越えました。ここから少し下ったところでかなり遅め(14:30頃)の昼食。途中、軽いネンザをした女性もいたので、ガイドのセサーがみんなの疲労具合を確かめ、さらに先のキャンプ場まで行くかどうか確認しましたが、結論はGO!
15:30に再出発し、この日のキャンプ場に到着したのは18:00頃。朝8:00に出発したので、休憩や昼食も含めると10時間のトレッキングでした。本当にみんなよく歩いたよな〜。高度3800mのキャンプ場で眺める満天の星は、言葉に出来ないほど美しいものでした。
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2005年05月21日

ペルー報告(9) インカトレッキング1日目(その2)

 あまり急でない道のりとは言え、初めての昼食場所に着いたのは13:30ごろ。長時間のトレッキングに不慣れなせいか、結構足が疲れた状態でたどり着きました。
 昼食の場所にたどり着くと、すでに到着しているポーターの人達が私達を出迎えてくれた上に、洗面器に入ったお湯と石鹸、タオルを用意してくれます。おまけにジュースも運ばれてくる…なんだ、この贅沢さは…。しばらくすると、「昼食の用意が出来たよ〜」と声が掛かり、大きなテントの中に昼食が用意されているのです。内容もスープに始まり、メイン料理、デザートまで出てきます。メイン料理には飾り付けまで!

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<昼食後、しばしの休憩>

 そんなポーター達の料理に元気付けられ、昼食後30分ほど休憩を取ったあと、再び歩き出すと、徐々に急な坂道になり始めます。自分のペースでゆっくり歩けばいいのですが、どうやら汗をかいた後に体を冷やしたせいか(日陰に入るとあっという間に冷える)、再び発熱したようで、なんだか体がだるく、辛い状態でのトレッキングに。昼食後、片付けを終えたポーター達は、一人20kg以上の荷物を背負い、私達を追い抜いて行きます。私も重い体を引きずるように、何とか17:00頃、この日のキャンプ地(高度3200mぐらい)に到着。
 到着すると、すでにポーター達は私達のテントを張り、昼と同様に洗面器のお湯と石鹸とタオルを用意してくれ、お茶やポップコーンまで用意してくれていました。発熱してしまった私は、夕食の時間まで寝袋の中で悪寒を感じながら寝ていましたが、夕食時には何とか起き出して“フルコース”の食事を頂きました。食事後、全員が初日の感想を話しましたが、発熱に参ってしまった私は弱気な言葉を並べ、終了後は解熱剤を飲んで、服を4枚も着込んだ状態で寝袋に入って眠りました。
 2日目は4200mの峠を越える「Suffering Day」。果たして乗り越えられるのか?
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ペルー報告(8) インカトレッキング1日目(その1)

 いよいよインカトレイル・トレッキングへ出発の朝、私はホテルの人が6時にドアをノックして起こしてくれるより先に目を覚まし、準備を始めました。体調も良くなったようで、朝食でもパンを3個食べました。
 集合時間までにポーターさん(後述)へのおみやげにコカの葉を買い(1袋1ソル)、荷物をポーターさんに預ける7kgまでのものと、自分で持ち運ぶデイパックに分けます。まずはバスに乗って、トレイルの出発地点“82km”へ。ここでは、ポーターの人達が待ってくれていて、先ほどの荷物を預けます。また、地元の人が食べ物や水、歩くときに使う杖を売っています。杖があると楽だとは聞いていましたが、私は3人で1本買い、必要になった人が使うということにしました(結局、私は使いませんでしたが…ちなみに1本3ソル)。
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<まだみんな元気な出発地点>

 トレイルの入り口でパスポートを見せて登録チェックを行い、ここからインカトレイル・トレッキングのスタートです。初日は約12kmの道のり。セサーの話によると、最後の2kmだけは急な坂になるとのことでした。ということで、最初はほとんど高度を稼がないようななだらかな道が続きます。途中、セサーがみんなを集めて座らせ、コカの葉の話を始めました。
 「コカの葉はアンデスの人達にとって、非常に重要なものなんだ。コカインは色んな化学物質の混ざった全く別のもの。僕達はコカの葉からパワーを得るんだ。」と言って、3枚のコカの葉をベロニカ山に向けてかざして祈りました。「3枚は健康、愛、幸福を意味するんだよ。」さらに今度は数枚のコカの葉を筒状に丸めて、一人一人に配ります。「パワーが出るから口の中に入れて噛んでみろ」と言うのです。苦いのですが、噛んでいられないこともない…何となく頭がスッキリしてくるような感じです。ただ、細かく噛み切られた葉が口の中に広がり始めて、「15分ぐらい噛んだら吐き出せばいいよ」と言われたのですが、多分、5分ぐらいで吐き出してしまいました。
 これが“パワー不足”の原因となったのか、午後は少々辛い目に遭うことになってしまいました。
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2005年05月17日

ペルー報告(7) ウルバンバ渓谷遺跡巡り

 クスコで一夜を過ごした翌朝、私達はバスで多くのインカの遺跡が点在する、ウルバンバ渓谷へ向かいました。まずは、クスコの町を一望できるところにある、サクサイワマンの遺跡を車窓から見物。年に1度、大きな祭りが行われるという広場もあり、美しい遺跡でした。
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<サクサイワマン=“セクシーウーマン”って聞こえるだろ? byセサー)

 その後、リャマやアルパカ、ビクーニャといった高級毛織物の原材料となる(!)動物達や、美しい織物の出来る過程を実演している(ついでに販売している店もある)ところを見物できる場所に立ち寄り、ピサックという町へ到着。さらに町を通り抜けて山をず〜っと上っていったところにピサックの大きな遺跡はありました。

 この日からインカトレイルの終了までガイドをしてくれたセサーの案内で、ピサックの遺跡を約1時間半にわたって歩きました。「インカトレイル前の練習だよ」というセサーは、ところどころで遺跡や歴史について色々と説明してくれました。彼のスペイン語なまりの英語の話は、この後、インカトレイル終了まで私達を楽しませてくれます。
 ピサックの遺跡はかなり大きなもので、段々畑やそれにつながる水路、神殿跡らしきものも見られます。また高い場所にあるので、ウルバンバ渓谷を眺める景色も見事でした。
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<ピサック>

 遺跡を見学後はピサックの町に入り、市の開かれている広場のレストランで昼食をとりました。市は火、木、日曜日に立つということですが、私達の訪れた月曜日も観光客用の民芸品の店はたくさん出ていました。火、木、日曜はもっと賑やかなのかも知れません。

 ピサックを出て、さらに1時間ほどで、この日の宿泊地、オリャンタイタンボの町に到着。町の背後の急な斜面に段々畑と遺跡がそびえていました。段々畑の横の階段を登ると、例によって隙間のないインカの石組みや、どうやってこんなに高いところまで運んだのか不思議に思われるような巨石が見られます。セサーが色んな推論を話してくれましたが、どれも推論の域を出ないという感じでした。
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<オリャンタイタンボ>

 さて、このオリャンタイタンボで1泊すると、次の日からは3泊4日のインカトレイル・トレッキング。40数キロの古道をキャンプしながらマチュピチュ遺跡まで歩きます。途中、4200mの峠を越えたり、3800m地点でキャンプを張ったり…。
 夕食前にセサーからオリエンテーションを受けた私達一行の顔は、不安と期待が半々といった感じ。
 いよいよ今回の旅のハイライト。その模様はまた次回。
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2005年05月16日

ペルー報告(6) インカ帝国の首都クスコ

 アマンタニ島を離れ、途中、葦(トトラ)の浮島で有名なウロス島に立ち寄った後、プーノのホテルに戻った私達は、預けてあった荷物を受け取って、一路、バスでクスコへ向かいました。クスコに着いたのは夜の8時頃。夕食もバスの中で済ませたので、ホテルからのサービスのピスコサワー(ぶどうの蒸留酒ピスコにレモンと卵白を加えてシェイクしたもの)を頂いて、アルマス広場を少し散歩して、この日は早めの就寝となりました。

 翌日は午前中、ツアーリーダー、マヌエルの案内でクスコの町を散策。アルマス広場ではメーデーのためか、警察、軍隊が大挙繰り出して、壮大なパレードが催されていました。パレード中に別の場所で何か起こったらどうするんだろう?

 そんな中、私達は本来ならお休みのアルパカ111(アルパカ製品のブランドショップ)を特別にオープンしてもらって買い物をし、インカ時代の石積みの壁が残る路地を通って「12角の石」(角が12もある石が、周囲のどの石とも隙間なく組まれている)を見たりしました。
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<12角の石・現物>

 昼食後はフリーだったので、まずは民芸品ショッピングセンターへ。朝見た「12角の石」のパズルがあったので自分のために購入(8ソルを7ソルに)。おみやげに小さ目の織物のバッグを2つ(2つで50ソルを40ソルに)、ベルトを1本(25ソルを22ソルに)買いました。ショッピングセンターと言っても、露天がひとつ屋根の下に集まっただけのようなところ。相手の言い値よりは絶対下がります。
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<12角の石・パズル>

 その後、サント・ドミンゴ教会へ。ここはインカ時代、コリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれた場所で、スペイン人が征服後、建物を壊したあとの土台の上に教会を建てたというもの。インカ時代の石組みが、土台としてだけ残っている場所は非常に多いようです。

 さらにアルマス広場周辺のお店でも少々の買い物をして、1日をすっかり“普通の観光客”として過ごしたこの日は、夕食でこの旅行初めてのビール(地元の代表的なビール「クスケーニャ」)を飲んで締めくくりました(高地では酔いが回りやすいので注意が必要なのです)。
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2005年05月15日

ペルー報告(5) アマンタニ島でホームステイ(その2)

 サッカー強行後、ホームステイ先のベッドで高山病の悪化に苦しんだ私でしたが、何とか夕食には起き出しました。
 夕食は薄明かりのみの小さな食堂で頂きました。暗くて料理の内容があまりよく見えなかったのですが、ご飯の上に、じゃがいもや豆の入ったとろみのあるスープがかかったものでした。残念ながら体調不良で食欲が今ひとつの私は、半分残してしまい、申し訳ない思いでした。

 夕食後はもともとの予定通り、集落の集会場にてのダンスパーティーへ。ホスト家からニット帽とポンチョを借りて、またまた坂道を集会場へ向かいます。今度は夜なので、懐中電灯片手に。

 会場に着くと、私達の一行以外にも西洋人の旅行グループが次々と集まって来ました。男性も女性も現地の民族衣装に身を包んでいます。

 若い男達がフォルクローレの演奏を始め、やがてホスト役の女性達が「さあ、踊りましょう」と誘い始めます。踊りはホスト役の女性一人にゲストの旅行者一人のペア。ホスト役の女性のリードで踊ります。
 私も体調は悪かったのですが、せっかくの機会なので頑張って踊りました。すぐ息が上がってしまいましたが、2曲続けて踊りました。

 続いて、火が炊かれた外へ出て、大勢で輪になって踊りだしました。火の回りをぐるぐると波打つように回って踊ります。またしても息が切れて、「早く曲が終わってくれないかな〜」と思うぐらい苦しかったのですが、何とか最後まで踊りました。
 結局、苦しいながらも5回ぐらい踊ってしまいました。

 次の朝…、私は当然のように頭痛に悩まされました。それまでで一番ヒドかっただけでなく、もう体がだるくて動こうとしない…。出発の準備のために1mほど先のテーブルのものに手を伸ばすのも辛い状態。おまけに異常にのどが渇いて、ダンスパーティーの会場で買った2本の水を朝までに飲み干してしまいました。発熱を併発していたようです。
 それでも何とか朝食を頂き、8時の港集合には何とかたどり着きました。ミラが港まで見送りに来てくれたので、お世話になった3人と一緒に記念写真を撮り、アマンタニ島を離れました。

 高山病で一番苦しんだ2日間でしたが、村人とのサッカーやダンスパーティー、ホームステイ先での食事など、色々と素晴しい経験の出来た2日間でした。

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<ホームステイ先の部屋>
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2005年05月14日

ペルー報告(4) アマンタニ島でホームステイ(その1)

 タキーレ島からさらにボートで45分、アマンタニ島に到着。私達はこの日1泊を、現地の民家でホームステイすることになっていました。港に着くとホストの家から既にお迎えが(ほとんどがその家のお嫁さんのようでした)。私達は2〜3人のグループに分かれて、それぞれの家に引き取られて行きました。
 私のグループは3人で、ミラという女性が迎えに来てくれました。ミラの家まではまたも坂道…。何事もないようにスタスタと歩いていくミラの後ろを、私達は必死に付いて行く感じで、何とか家までたどり着きました。

 通された部屋には裸電球がありました。もしかしたらロウソクかな〜とも思っていたのですが…。周囲の家々を見てみると、ソーラーパワーの設備が付いている家や、自家製のアンテナが付いている家もチラホラ。ただ、公共の電気は通っていないようでした。

 しばらく部屋で休憩した後、私達は集落の集会所へ。これまた坂道を息を切らせながら必死にたどり着くと、集会所の前でガイドのグイードが村の様子や島の歴史、農作物の話(紀元前からの話になる)などをしてくれました。

 グイードは私達をさらに坂の上へと連れて行きます。そこに現れたのは村のサッカー場。広さはフットサルのフィールどぐらいしかなく、ゴールも小さいのですが、何人かの人がサッカーをしていました。
 グイードはサッカーをしていた村人に、自分も加わって「ゲームをやろう!」と言い出しました。ところが、人数が奇数で一人足らない…「誰か一人キーパーをやらない?」。グイードは、高山病で歩くこともままならない私達一行に声を掛けたのです。当然、誰も動けるはずはなく、動こうなんて気は起きません。
 それでもグイードが「誰か、誰か?」と声を掛けるので、キーパーぐらいなら何とかなるだろうと思った私は、重い腰(体重のせいじゃなくて)を上げました。

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 そこからはもう必死。キーパーなので、そんなに動かないのに息が上がって仕方がない。おまけにみんな結構上手な上に、容赦がない…。
 でも、貴重な経験でしたね〜。楽しかった。その後、一旦家に帰って一休みするまでは…。家に戻ってベッドに転がり、夕食に呼ばれるまで、私は激しい頭痛に悩まされることになったのでした。
posted by らぐじ〜 at 20:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ペルー報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ペルー報告(3) 4000m 湖上の島へ

 見事に高山病にかかった状態ながら、いよいよチチカカ湖上の旅へ。まずはホテルから自転車タクシー(2人乗りの座席を自転車で引っ張る)で港へ。港でホームステイ先(後述)へのおみやげを買ってボートに乗船。最初に向かったのは、ボートに乗ること3時間のタキーレ島。私も高山病でしたが、仲間の中には私より重症の人が何人かいて、船の中ではず〜っとぐったりしていた人もいました。

 それなのに、タキーレ島に着くとすぐに上り坂。ゆっくり歩くのですが、まだ4000mに体が慣れているはずもなく、みんなゼエゼエ、ハアハア言いながら登って行きました。途中、休憩ついでに、村の女の子からミサンガ(1本1ソル=30数円)を買い、一緒に写真を撮ってもらいました(5月9日分の画像参照)。坂を登り切ったところに村の広場が開け、民芸品売り場やレストラン(と言っても、外から見てもレストランとは分からない)があります。村の様子や民芸品を見てまわりましたが、何と言っても素晴しいのはチチカカ湖を臨む景色。高台まで登った上に、快晴にも恵まれ、チチカカ湖とその向こうに見えるボリビアの6000m級の雪をかぶった山が本当にきれいでした。

 この日の昼食はここのレストランにて。オムレツを頼むと、ご飯の上に焼いた卵が乗った状態のものが出て来ました。まるで“あんかけのかかっていない天津飯”という感じでした。

 昼食後、もと来た坂道を下って港に戻り、次なる島、アマンタニ島へ向かいました。

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<タキーレ島の村の広場>
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2005年05月12日

ペルー報告(2) 来た来た!これが高山病…。

 首都リマで1泊後、いよいよ私たち一行はチチカカ湖へ移動。リマの標高はせいぜい200m。チチカカ湖のほとりの町プーノは一気に3890m!これまでで経験した一番高い標高は八方尾根スキー場(多分1500mぐらいかな?)ではないかと思われる私にとって、4000mの世界など未知の未知。これから高山病との激しい戦いが待っている…なんてナマやさしいものではありませんでした。戦うなんてとんでもない。あっという間にノックアウトされてしまいました〜。

 リマからフリアカ空港に着いて、プーノの町までバスで移動。ホテルにチェックインして…と日中はあまり影響なかったような気がしたのです。「ん〜、なんかやっぱり空気が薄い感じかな〜」という程度で、ゆっくり大きめに呼吸をするようにはしていました。

 ところが、だんだん頭がぼんやりしてくるような感じで、夕食頃にはなんとな〜く体が重くなってきて、夕食後の買い物もあんまりウロウロする気が起きない。そして、ホテルに帰って眠ろうとすると…眠れないのです。最初は時差ボケのせいかと思っていたのですが、ウトウトし始めて、「あ〜、そろそろ眠れるかな〜」と思うと息苦しくて目が覚める。この日の同室、ゆーこーが隣のベッドで頭痛を訴え始める。結局、彼はほとんど眠れなかったようで、6時には起き出してシャワーを浴びていました。私も、寝たのかどうかよく分からないまま朝を迎え、仕方ないのでベッドから出ると…体は重くて動きが鈍いわ、床にあるものに手を伸ばそうとして頭を下げると頭痛がするわで「うわ〜、これが高山病か〜」って感じでした。

 何とか朝食を食べる元気は残っていたし、しばらくすると頭痛は少しマシになってきたのですが、次の日、チチカカ湖上で迎える朝は、私にとって忘れられないぐらい苦しい朝となるのです。
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<プーノの街を背景に>
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2005年05月10日

ペルー報告(1) リマ到着 魚臭と客引き

 何度も言うようですが、初めての南米、ペルーへ到着したのは、成田空港からの飛行時間計17時間、自宅を出てから実に30時間強の長旅の後でした。

 空港で入国手続きを済ませ、荷物を受け取り、ドルをソルに両替。そして、ボタンを押して青のランプが付けば素通り、赤のランプが付けば荷物を開けて検査…というクジ引きみたいな“抜き打ち荷物検査”を通り抜け、とうとうペルーの外気を…くさい!

 なぜか、空港の外は魚のにおいが立ち込めているのです。しかも、少々発酵でもしたような鼻を突くにおいがするのです。確かに海が近いことは間違いないのですが…。今もって、原因は不明です。海が近いというだけでは、あのにおいは発生しないはず。

 さて、ホテルまでは、一応“現地集合”ツアー(参加者の一人を除いては、結局、同じ飛行機に乗っていたのですが)ということになっているので、4〜5人のグループに分かれて、それぞれの方法でホテルまで行きましょう!ということになりました。空港の外に出ると、魚のにおいの次に襲ってくるのは、“群がる客引き”

 基準として聞いているのは、ホテルのあるミラフローレス地区まで20ソルぐらいが相場だと言う。最初に声を掛けてきたカード状の“料金表”を持った男は、4人で換算すると高く付いたので断った。2人目の男はあまりに安い値段だったので怪しくて断った。

 そして3人目に声を掛けてきた英語を話すオバさんが、“ミラフローレスまで1人12ソルだ”と言ったので、それに決めることにした。ワンボックスのワゴンに乗ると、「明日の予定はどうなってるの?よかったら市内観光も引き受けるよ」と言ってきた。なるほど…。しかし、「もう明日の予定は決まってるんだ」と言うと、あっさり「じゃあ仕方ないね。何かあったらここへ連絡しておくれ」という感じで名刺のようなカードをくれた。

 そんなこんなでホテルに到着したのは夜中の0時過ぎ。なんとか無事、ペルー初日の眠りにつくことが出来ました。
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2005年05月09日

無事(?)帰国

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 本日、無事ペルーより帰国致しました。初めての南米初めての“水道水の飲めない国”訪問で、色々な体験をしてきました。詳しい報告は、明日よりこのブログにてお伝えしていこうと思います。
 とりあえず、本日は明日からの出勤に備えて、これにて失礼…。帰国ご挨拶のみとさせて頂きま〜す。
posted by らぐじ〜 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(1) | ペルー報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする